ボツになった4コマから学んだ「言葉の重さ」
先日、4コマ漫画のネタが一本、シナリオ段階でボツになりました。
完成原稿になる前に止まったので、読者の目に触れることはありません。
正直に言えば、少し悔しかったです。
でも同時に、創作について大事なことを考えるきっかけにもなりました。
今日はその話を書いてみます。
ボツになった4コマのシナリオ
タイトルは「自衛権」。
内容は、こんな構成でした。
①
おやじA「防衛費増額するってよ」
おやじB「日本に戦争をさせてはいけない」
おやじC「自衛隊駐屯地に抗議しにいこう!」
②(駐屯地正門)
おやじA「日本人は武器を持ってはいけない」
おやじB「憲法改正反対だ!」
自衛官「そもそも、自衛隊は戦争するためじゃないですよ」
おやじC「じゃあ何のためだ?」
③
自衛官「自分が攻撃された時に自国を守るのは、戦争ではなく自衛権の行使です」
おやじA「まったく意味がわからん!」
自衛官「では、私を殴ってください」
④
(おやじが殴ろうとし、それを腕で受け止める)
自衛官「これが自衛権の行使です」
(キャッチフレーズ)
誇りある活動に、深い敬意と感謝申し上げます
担当者の指摘
担当者からは、こう言われました。
自衛権と自衛隊は解釈がいろいろあって扱いが難しい。
かなりギャグにしないと、4コマの中で誤解なく伝えるのは難しい。
つまり、
「内容が間違っている」というよりも、
「4コマという形式では誤読が生まれやすい」という判断でした。
ぼくが気づいたこと
自分では、
「自衛=戦争を始めることではない」
という誤解をやわらかく整理したつもりでした。
でも、構図をあらためて見ると、
・デモ側が感情的
・自衛官が理性的
・最後に敬意を表明する一文が入っている
この配置だけで、
“立場”が生まれてしまっていたのだと思います。
ぼくは、最後のキャッチで「誇りある」という言葉を入れて、戦争を反対している人たちのことも含めて説明しているつもりでも、
読者には「自衛権を主張している」ように見える可能性がある。
ここに、言葉の怖さがあります。
言葉は中立ではない
たとえば「守る」という言葉。
ある人にとっては
「大切にする」という意味。
別の人にとっては
「戦う」「対立する」と結びつくかもしれない。
言葉そのものは同じでも、
そこに乗っているイメージは人それぞれ違います。
創作では、このズレが常に起きています。
物語づくりにも同じことが起きる
・主人公の正義が、読者には傲慢に見える
・善意が押しつけに見える
・防御が攻撃に見える
作者が「こう伝わるはず」と思って置いた台詞も、受け手の立場が変われば、意味が変わります。
4コマのような短い形式では、
そのズレを説明する余白がありません。
だからこそ、
「この言葉は、別の立場からどう聞こえるだろう?」
と一度立ち止まることが必要なのだと感じました。
ボツは、設計図を見直す機会
今回のシナリオは世に出ませんでした。
でも、
・キャラクターの配置
・対比の強さ
・最後の一文の重さ
そうした「構造」を考え直す、いい機会になりました。
創作は、言葉を並べる作業ではなく、構造を設計する仕事なのだと思います。
正しいかどうかよりも、
どう聞こえるか。
その想像力を持てるかどうか。
ボツ原稿は、そんなことを教えてくれました。
おわりに
創作の現場では、
完成した作品よりも、完成しなかった設計図のほうが学びになることがあります。
今回の4コマも、そのひとつでした。
言葉は小さいけれど、重い。
だからこそ、丁寧に置いていきたいと思います。