物語の結果と結末について
いつも創作お疲れ様です。
今回は「自分の作品にいまいち深みがない」とか「いま一歩作品に重みがない・・・」と感じているあなたへ向けて情報発信したいと思います。
ぶっちゃけ結末でコケると作品がオジャンになってしまうかもしれませんよね。そうです。ボクも幾度なく「作品にコク(旨味)がない!」と嘆いでいた経験が多々ございます。
せっかく苦心して作ったあなたの作品がオジャンになってほしくないので、ボクがこの原因について深く掘り下げて、どのように結末を考えていったらよいかナビゲートしていこうと思います。
まず、ストーリーには、必ず主人公の葛藤があり、対立もあり、終盤には〝結果〟が表現されます。
物語の結末は、結局のところ、どうなったか?という〝答え合わせ〟があるんですよ。平たくいえば
〝物語のオチ〟です
オチは、さりげなくで構いません。「なるほど!そうくるか!」的な、軽い解釈をさせられたなら、お手の物です。この辺りはちょっとセンス(アイデアの切り口)が必要なのかもしません。
主人公が、しどろもどろになりながら、
何とかこぎ着けた最終ゴールは・・・?
○○○○は、いかなる結末を迎えたのか?
対極構造の勢力が激闘し、結局どうなったのか?
など・・・。
このような物語の結果・結末から逆算すると、主人公の〝葛藤〟がスタート地点なんです。
葛藤があるからこそ、〝解決の場〟が、必然になるからです。
創作前の3つのポイントの内、③どのように?の部分に該当しますが、この記事では省略します。
関連記事:どのようにの決め方?
物語のオチには、葛藤と対立が前提にある
物語の〝結果と結末〟には、〝葛藤と対立〟の深い因果関係にあります。
このブログでよく〝葛藤と対立〟と表記していますが、ボクのキャラクター論で、少しまとめて見ますと、
葛藤があれば、対立があり、対立があれば葛藤もあるというわけです。
つまり、
①葛藤→感情表現
②対立→行動表現
キャラクターが行動にうつして葛藤する姿、葛藤しながら行動する姿、いずれも①②をセットとして考え、互いに交差して、刺激イベントを基点として螺旋を描くイメージです。
葛藤↘ 対立↘ ↗葛藤
刺激↗ 刺激↘
対立↗ ↘葛藤↗ 対立
上の図でも、ちょっとわかりづらいかもしれませんが、キャラクターの何を表現するのかと言えば、〝葛藤・対立〟です。ピアノを奏でるような感覚でバランスよく表現できれば、ドラマチックになるかもしれません。
(ボクも残念ながらピアノを奏でるような腕があればよいのですが)
なぜなら、最終的に、このドラマ曲線が問題解決・事件の収束・トラブル解消されていくからです。
関連記事:物語はドラマ曲線を描く
なぜ葛藤と対立がないといけないか?
まず、語れないからです。物語は、あなたの〝語り〟なんです。そう!最後(ラストシーン)まで語れなくなってしまうんですよ!
葛藤・対立があるからには、必ずその〝問い〟に対するあなたの〝答え〟があると思います。
ボクはその答えを〝テーマ〟と読んでいますが、これは小学校で習う、エネルギー問題とか、森林伐採とか、うんちゃらなんちゃらの内容ではなく、読者に対する非言語メッセージです。
そして何より、あなたが深く考察して、独自で導きだされたオリジナルの〝答え〟がテーマです。
もう一度、まとめますが、葛藤と対立があるのは〝ラストシーンまでの語り〟であり、必ず〝答え〟があるはず。その答えとは、外界にはなくあなたの内観して出てくるメッセージ(テーマ)ということです。
ただし、葛藤と対立が描かれ、テーマがあってもいても、まだまだ平面的かもしれません。
さぁ、物語の最後の最後にコケたくなければ、読み続けましょう!
このメッセージ(テーマ)をもう少し立体的に膨らませていきましょう。
関連記事:テーマという障害
正論と異論
これは、ストーリーのアイデア出しとも言えますが、時系列に当てはめてみますと、
最初は○○だった。でも○○によって、結果的に○○になった。
上記のように、結果的に〝答え〟があるのは、正論と異論がぶつかり合っているんです。
つまり、正論をしゃべってくれるキャラと、異論(いちゃもんを言う)キャラと激しくぶつかり、対立させるシーンを読者に読ませるわけです。
しかも、両者の主張に、読者が読んでみて「どっちの言い分もわかる!」という設定にしておくべきですし、それぞれの言い分を持たせて形勢を拮抗させます。
この対極構造スタイルが、葛藤と対立を生み出し続け、「結局、正論と異論の成れの果ては・・・?」と終盤まで繰りひろげます。
いよいよ結末に差し掛かりました。
はい!ここでもし、あなたの〝答え〟がないとすれば・・・?
読者の反応は何か物足りず、残念がってしまうかもしれませんし、あなたも納得がいかないでしょう。
作品を通して主義主張をするんです。自分そのものを主張するように心がけていきましょう。
関連記事:主義&ニズムというバイアス
弁証法的な結末
あなたの主張・・・と言いましても、キャラ設定・舞台設定・時系列を組みながら、テーマ性を持たせるって難しいと思うんですよ。
そこで、結末(アイデア)のための思考実験の材料として、ドイツの哲学者であるヘーゲルの弁証法について、ストーリーづくりに応用していきたいと思います。
ヘーゲルとか、弁証法とかって名前だけきくだけで、蕁麻疹が出てきたり、クソつまらなそうだ、と思わずに、どうか最後までお付き合いくださいね。
例えば、
キャラクターA君が「この形は円だ!」(正)と主張したとします。しかし、その横で、キャラクターB君は「何を言っているんだ、この形は長方形だ!」(反)と主張したとします。
すると、A君が主人公だとすれば、B君がラスボスになります。(逆もしかり)
二次元を前提としていれば、どちらか一方が正しければ、一方が間違っていることになります。(逆もしかり)
そこで、キャラクターC君が、「おい待てよ!これは円柱じゃないのか?」(合)
となれば、読者は「なるほど!」と頷くことができ、葛藤と対立のプロセスを通して発展的に統合して、よく練られた作品となるわけです。
つまり、
【正】テーゼ(命題)→円だ!
【反】アンチテーゼ(反命題)→長方形だ!
【合】ジンテーゼ(矛盾解決の命題)→円柱だ!
いかがでしょうか?何となくイメージできますでしょうか?(何となくで大丈夫ですよ)
あなたの結末のオチが〝円柱だ!〟という答えを導きだされているかどうかですよ。
つまり、正・反・合というプロセスで〝物語のオチ〟が、アウフヘーベン(止揚)を活かす状態にします。
アウフヘーベンとは、対立する考え方や物事が、より高い次元の答えを導き出したり、議論を深めることでさらに良くしたり、見方を変えて解決につなげたりすることを指します。
このようなヘーゲルの弁証法は、些細な日常の問題から、ビジネスシーンや社会、歴史問題にいたるまで、認知されてきました。
ちなみに、東京都知事の小池百合子が、自身の政策を主張する際に、アウフヘーベンという表現を多用したことは有名な話です。(はい、どうでもいいですね)
ボクは、この弁証法的結末の考え方が、物語のオチの着想につながると信じています。
まとめますが、物語の結果・結末というのは、
まず、1つ目が、主人公が、どのような結果を出したのか?
それと2つ目、物語全体がどのように解決できたか?もしくは、どう結末をまとめたのか?
が、重要なポイントになると思います。解説がいまいちでしたら申し訳ないです。ストーリーの結末の決め方などの参考になれば幸いです。
あなたの創作を応援しています。
関連記事:結末の決め方
最近のコメント